北欧神話

ユミルとは|北欧神話の原初の巨人と世界創造

ユミルは、北欧神話で最初に生まれた原初の巨人であり、別名アウルゲルミルとも呼ばれる存在です。
『エッダ』に伝わるこの巨人は、霜の巨人族と神族の双方に連なる共通祖先でもあり、神話全体の起点を担っています。
誕生の舞台は天地創造以前のギンヌンガガプで、ムスペルヘイムの熱とニヴルヘイムの霜がぶつかり合い、その滴から生命が宿ったと語られます。
筆者が原典を読み返すたびに驚かされるのは、北欧神話の創造が「無からの生成」ではなく、一体の巨人の死体から世界を組み立てる、きわめて即物的な発想に支えられていることです。

ユミルとは何者か|北欧神話最古の存在

ユミルは、北欧神話で世界が形を取る前に最初に生まれた生命体であり、神々よりも先に存在した原初の巨人です。
その名は単なる怪物名ではなく、のちに始まる神族と巨人族の系譜を考えるうえで出発点になります。
原典では『散文エッダ』と『詩のエッダ』で語り口や細部が異なるため、両者を分けて読む姿勢が欠かせません。

原初の巨人という呼び名の意味

ユミルは、天地創造以前の空隙ギンヌンガガプにおいて、南の炎の国ムスペルヘイムの熱と北の氷の国ニヴルヘイムの霜が出会ったところから生じた存在です。
世界がまだ輪郭を持たない段階で現れたため、「原初の巨人」と呼ばれます。
最初に生まれたのが神ではなく巨人だったという発想は、神話世界の重心が最初から人間的な秩序に置かれていないことを示しているでしょう。

筆者が初めて『詩のエッダ』でこの筋立てに触れたとき、ギリシャ神話やキリスト教の創造観との違いに強い衝撃を受けました。
北欧神話では、混沌の外に秩序が置かれるのではなく、混沌そのものから始まるのです。
その違和感こそが、この神話を読む面白さの入口になります。

別名アウルゲルミルと『詩のエッダ』での呼称

ユミルには別名アウルゲルミルがあり、古ノルド語では Aurgelmir と書かれます。
『詩のエッダ』の一篇『ヴァフスルーズニルの歌』では、霜の巨人たちがこの名で彼を呼んだと語られ、名の層がすでに古い伝承の厚みを感じさせます。
意味については諸説ありますが、「耳障りに叫ぶ者」や「轟くように叫ぶ者」といった解釈が知られています。

この別名が面白いのは、ユミルが単なる個人名ではなく、霜の巨人の始祖としての威格を背負っている点です。
名前の揺れは伝承の揺れでもあり、『詩のエッダ』の古い詩句を、後世の編纂がどう受け止めたかを見分ける手がかりになります。
読み比べると、同じユミルでも語りの温度が変わって見えてくるはずです。

全ての巨人と神の祖先という系譜上の位置

ユミルは両性具有で、配偶者なしに単独で子を生みました。
眠っている間に両脇の汗から男女一対の巨人が生まれ、両足の交わりからは六つ頭の息子スルーズゲルミルが生まれたとされます。
こうした繁殖は人間の常識から大きく外れており、原初の存在がまだ性差や家族制度に縛られていないことを示す表現です。
そこから霜の巨人族フリームスルスの系譜が続いていきます。

さらに重要なのは、ユミルが巨人族だけでなく神族の祖でもあることです。
『散文エッダ』では、原初の牝牛アウズンブラが塩辛い氷を三日かけて舐めることで最初の神ブーリが現れ、ブーリの子ボルが巨人の娘ベストラを娶ってオーディン、ヴィリ、ヴェーが生まれます。
神と巨人は最初から血縁で結ばれており、ユミルの死後にその体から世界が作られるという構図は、敵対と同時に共通祖先の存在をも語っているのです。

ギンヌンガガプでの誕生|炎と氷から生まれる

ギンヌンガガプは、天地創造以前に広がっていた原初の空隙であり、まだ天も地も海もない、文字どおりの無の裂け目として描かれます。
北欧神話の宇宙は、この空白から始まる。
ここで重要なのは、最初から整った世界があったのではなく、まず「何もない場所」があり、そこへ相反する力が流れ込むことで生成が始まる点です。

ギンヌンガガプ(原初の裂け目)とは

ギンヌンガガプは、ただの空白ではありません。
口を開けた裂け目のように想像され、世界の境界そのものがまだ定まっていない状態を示します。
筆者がアイスランドの溶岩台地と氷河が隣り合う風景の写真を見たとき、ムスペルヘイムとニヴルヘイムが出会うこの場面が、火山島の実景にそのまま重なって腑に落ちました。
神話の始まりが抽象的な観念ではなく、地形の感覚に近いのだと分かる瞬間です。

炎の国ムスペルヘイムと氷の国ニヴルヘイム

ギンヌンガガプの南には灼熱の国ムスペルヘイム、北には極寒の国ニヴルヘイムがありました。
熱気と冷気が裂け目で向かい合うことで、世界は初めて動き出します。
ムスペルヘイムの熱は、ニヴルヘイムから流れ出た霜、すなわち毒の川エリヴァーガルの凍った滴を溶かし、その変化の瞬間に生命の気配が宿りました。
北欧神話が秩序より対立、静止より衝突から始まることを、ここははっきり示しています。

原典を訳していると、ユミルが「作られた」のではなく、霜から「生じた」としか言いようのない感触に何度も立ち止まります。
受動的に与えられた存在ではなく、熱と氷のせめぎ合いの中で立ち上がる存在だからです。
近代の創造神のイメージとは違い、ここでは創造主の意志よりも、生成そのものの勢いが前面に出ています。

霜の滴から生まれた最初の生命

その霜の滴から生まれたのが、原初の巨人ユミルです。
同じ霜から原初の牝牛アウズンブラも生まれ、こちらはユミルを養う存在として創造神話のもう一つの軸を担います。
ユミルが混沌の起点だとすれば、アウズンブラは生命をつなぐ滋養の起点であり、荒々しい生成の場にすでに関係と持続が組み込まれていることを示す存在です。

『散文エッダ』の第一部『ギュルヴィたぶらかし』に詳しいこの誕生譚は、ユミルが全ての巨人族の祖であり、神々とも血縁で結ばれる前段を形づくります。
アウズンブラが塩辛い氷を舐めて最初の神ブーリを現す流れへもつながるため、ここは単なる導入ではなく、神と巨人が同じ起源を共有する世界観の出発点だと分かるでしょう。
南の火花、北の凍てつく霧、そして裂け目そのものを頭の中で描いてみてください。

霜の巨人族の祖となる|眠りの汗から生まれる子孫

ユミルは『散文エッダ』と『詩のエッダ』の両方で、巨人族の起点として描かれる存在です。
しかもその成長と繁殖は、人間の家族像とはまったく異なるかたちで進みます。
原初の世界では、母乳、汗、足の交わりがそのまま生命の源になっているのです。

原初の牝牛アウズンブラと乳

ユミルを育てたのは、同時に生まれた原初の牝牛アウズンブラでした。
その乳房からは四本の川のように乳が流れ、ユミルはそれを飲んで成長したと『散文エッダ』は伝えます。
ここで目を引くのは、世界がまだ形を持たない段階で、まず「養うもの」が置かれている点でしょう。
暴力や闘争より先に栄養があり、創世の最初のイメージが母乳として描かれるのは、北欧神話の中でもきわめて印象的です。

学生時代にこの場面を読んだとき、思わず笑ってしまったことがあります。
ところが後になって、神話の世界には身体の分泌物から原初の存在や子孫が生まれる型が少なくないと知り、見方が変わりました。
奇抜さのための逸話ではなく、生命がまだ境界を持たない段階では、身体そのものが世界を増やす器だったと考えるほうが自然なのです。

汗と足から生まれた最初の巨人たち

ユミルが眠っている間、その両脇に汗をかき、その汗から男女一対の巨人が生まれたと伝えられます。
配偶者を必要としない単独の繁殖であり、しかも両脇から男女がそろって現れるので、通常の人間の生殖とは発想が根本から違います。
ユミルが両性具有的な始祖として理解されるのも、この場面があるからです。
身体の左右がそのまま子孫を生むという構図は、原初存在の自己増殖を極端に言語化したものだと読めます。

さらに、ユミルの両足が互いに交わり、六つの頭を持つ息子スルーズゲルミルが生まれたと『詩のエッダ』は伝えます。
資料によって表記は揺れますが、古ノルド語の綴り Þrúðgelmir を確認すると、日本語資料との対応を取る作業に毎回手間取ります。
もっとも、その読みづらさ自体が重要で、原典に残る異形の系譜をそのまま受け止める必要があるのです。

霜の巨人フリームスルスの系譜

この系譜は、アウルゲルミル(ユミル)→スルーズゲルミル→ベルゲルミルと三代続きます。
ベルゲルミルは、後の洪水を生き延びる人物として重要になるため、ここで名前を押さえておくと流れが見えやすくなります。
神話は一見すると断片的ですが、祖先名をたどると、巨人族の歴史が単発の怪異ではなく、世代を重ねる一族の物語として組み立てられていることがわかるでしょう。

こうしてユミルから生まれた一族が、霜の巨人フリームスルス(Hrímþursar)です。
彼らは後に神々と敵対する巨人族の源流となり、創造の出発点にすでに対立の種が蒔かれていたことを示します。
生を育む乳と、眠りの汗から続く増殖は、ただ生命力が強いというだけではありません。
原初の力がそのまま秩序の外側に広がり、やがて神々との境界を形づくっていく、その起点なのです。

オーディン三兄弟の誕生|ユミルを倒す者たち

アウズンブラが塩の氷を舐め続ける場面は、北欧神話の中でも起源の分岐を鮮やかに示す箇所です。
ユミルが霜の滴から生まれた巨人系統の祖であるのに対し、塩辛い氷の塊からブーリが現れることで、神族の系譜はまったく別の入口を持つことになる。
巨人は冷たさと湿り気から、神は塩を含む氷から生まれる。
この対比が、のちにオーディンたちがユミルを倒す物語の土台になります。

塩の氷から現れた最初の神ブーリ

アウズンブラは、ユミルを養う役目を負いながら、自分の糧を得るために塩辛い氷塊を舐めていました。
三日かけて氷を削るように舐め進めるうち、まず一日目に髪が現れ、二日目に頭が姿を現し、三日目に全身があらわれたと伝わります。
その神こそブーリ(Búri)であり、北欧神話で最初の神、アース神族の祖とされる存在です。
ここには、荒涼とした寒冷地のイメージだけでなく、氷の中から秩序が掘り出される感覚がよく表れています。

筆者はこの「塩の氷を舐めて神が現れる」という場面に、家畜と岩塩が生活に欠かせなかった北欧の牧畜文化が透けて見えると感じます。
原典を読む醍醐味は、神々の誕生譚の奥に、当時の暮らしの手触りが残っていることを確かめるところにあります。
塩は保存や飼育に結びつく身近な資源であり、神話はその具体性を借りて、世界の始まりを語っているのです。

ボルと巨人の娘ベストラの結婚

ブーリの子ボル(Borr)は、巨人ベルソルンの娘ベストラ(Bestla)を妻に迎えます。
ここで初めて、神族と巨人族の血が交わることになる。
憎み合うはずの両者が、実は婚姻によって結ばれた親戚同士でもあるという構図は、北欧神話の血縁関係が単純な敵味方で割り切れないことを示しています。
敵対の前に家系があり、対立の背後に親族関係がある。
この複雑さが、物語全体に重みを与えます。

三兄弟の世代を理解するうえで重要なのは、ボルとベストラの結婚が単なる添え物ではない点です。
オーディンたちの行動原理には、神族としての立場と巨人の血が同時に流れ込んでいるからです。
神々と巨人たちが正面からぶつかる神話でありながら、その当事者は同じ家系図の中に収まっている。
そうした重層性が、北欧神話を単純な善悪物語に見せない理由でしょう。

オーディン・ヴィリ・ヴェー三兄弟

ボルとベストラの間に生まれたのが、オーディン、ヴィリ、ヴェーの三兄弟です。
長兄オーディンは後に主神となり、知恵と統治の中心に立つ存在になる。
だが彼らは最初から純粋な神族として閉じていたわけではなく、母ベストラを通じて巨人の血を半分受け継いでいます。
その混血性こそが、のちに巨人ユミルを倒す側へ回るときの緊張感を生むのです。

オーディンの母方が巨人だという系譜を初めて図に書き起こしたとき、敵である巨人族と主神が同じ家系図に収まることに改めて驚きました。
血縁の網の目は、北欧神話の重層性を最もよく示す部分です。
ユミルを殺すオーディン兄弟は、たどればユミルの子孫である巨人の娘ベストラを母に持つ。
創造神話が単なる対立図式ではなく、血のつながった者同士の宿命的な断絶として描かれている点にこそ、この物語の核心があります。

ユミルの解体と天地創造|身体から生まれた世界

オーディン、ヴィリ、ヴェーの三兄弟がユミルを殺した場面は、北欧神話のなかでも創造と破壊が表裏一体であることを最も端的に示します。
混沌を象徴する巨人の身体を倒し、その残骸を世界の素材へと変えることで、秩序ある宇宙が立ち上がったからです。
神話が語るのは単なる暴力ではなく、世界がどのように組み立てられたかという起源そのものでしょう。

三兄弟によるユミル殺害と血の洪水

オーディン、ヴィリ、ヴェーの三兄弟はユミルを討ち、その傷口から流れ出た血は洪水のように広がりました。
霜の巨人たちはほぼ全員がこの血の海に呑まれ、ベルゲルミルと妻だけが木をくり抜いた舟のような乗り物で逃れたと伝わります。
ここには、世界の終末ではなく世界の始まりに洪水が置かれるという、きわめて古層の発想があるのです。
ベルゲルミルが血の洪水を逃れる場面を訳したとき、ノアの箱舟や各地の洪水神話との符合に鳥肌が立った、という感覚もよくわかります。

身体の各部位と世界の対応

三兄弟はユミルの身体を材料に、宇宙を部位ごとに組み替えました。
血は海と川に、肉(身体)は大地に、骨は山々に、歯と砕けた骨は岩や石に変えられ、髪の毛は草木となりました。
筆者が比較神話学を学ぶ中で最も印象に残っているのが、この「身体=世界」の対応です。
中国の盤古やインドの原人プルシャにも同じ型があり、人間が世界を自分の身体になぞらえて理解しようとした痕跡だと考えると、対応表は単なる整理ではなく、発想の骨格を見せる装置になります。

ユミルの身体変えられたもの意味
海と川水系の起源
肉(身体)大地住まいの基盤
山々地形の骨格
歯と砕けた骨岩や石硬質な地表
髪の毛草木生育する世界

この対応に加えて、頭蓋骨は天空のドームとなり、脳髄は雲になりました。
とりわけ眉毛、まつ毛ともされる部分は、人間が安全に暮らせる領域ミズガルズを囲う防壁として使われたとされます。
身体の隅々まで世界の部品にする発想は、自然界の配置を一挙に説明してしまう強さがあり、ミズガルズという語がただの地名ではなく「守られた人間界」を指すことも、ここで腑に落ちます。

ミズガルズと天を支える四人の小人

ユミルの頭蓋骨からできた天は、さらに東西南北の四隅をノルズリ、スズリ、アウストリ、ヴェストリという四人の小人が支えています。
空が落ちてこないのは彼らのおかげだと考えると、北欧神話は壮大でありながら、構造の説明が驚くほど実務的です。
天の高さも、四方の安定も、すべて身体由来の部材と支柱で説明される。
そこにこの神話の合理性があり、世界は偶然ではなく、解体された巨人の遺構として保たれているのだとわかります。

ユミルの名の由来|ヤマ・イマ・閻魔との繋がり

ユミルの名は、印欧祖語 *Yemo- にさかのぼるとする説が有力で、原義は「双子」とされます。
北欧神話の巨人名が、実はインド・ヨーロッパ語族の深い層に連なっていると知ると、個別の神話に見えていたものが、言語史の大きな流れの中で結び直されます。
比較神話学が面白いのは、物語の似通いだけでなく、名そのものが遠い親族関係を示す場合があるからです。

印欧祖語 *Yemo-『双子』という語根

ユミル(Ymir)を Yemo- に結びつける語源説は、単なる音の似方ではありません。
Yemo- は「双子」を意味する祖語と考えられ、北欧のユミルが、ヴェーダ神話のヤマやアヴェスターのイマと同じ系譜に置かれる根拠になります。
地理も時代も遠く離れた名が、ひとつの祖語に回収されると、神話は国ごとの孤立した伝承ではなく、長い移動と分岐の痕跡として見えてきます。

この視点が示すのは、神名の背後にある「古い記憶」です。
ユミルを知るとき、北欧だけを見ていては足りません。
言語の層を一段深く掘ることで、同じ語根がインド・イラン世界にも残っている事実が見えてくるからです。
筆者が比較神話学に惹かれた決定的なきっかけも、まさにこの「ユミルと閻魔が同語源」という発見でした。
遠く隔たった神話が、一本の糸でつながる瞬間の知的な興奮は、何度触れても色あせません。

ヤマ・イマ・閻魔という同語源の神々

同じ *Yemo- に連なる名として、ヴェーダ神話のヤマ、ゾロアスター教の聖典アヴェスターに登場するイマが挙げられます。
ヤマは死者の王として知られ、イマは黄金時代の王として語られますが、どちらも単なる偶然の音の一致ではなく、同じ祖語から枝分かれした可能性が高いのです。
ユミルとヤマ、イマが同じ名の親戚だと考えると、北欧神話とインド・イラン神話のあいだに、想像以上に古い共通基盤が横たわっていたことがわかります。

さらにヤマは仏教に取り込まれ、東アジアへ伝わって日本では閻魔大王となりました。
ゲームやアニメでユミルに親しんだ読者が、お盆に名を聞く閻魔様と同じ語源に触れると、神話は急に身近になります。
ここには、遠い異文化の物語をただ並べるのではなく、名の移動がどこまで広がったかを確かめる面白さがあります。
授業で扱う際にも、まずこの連鎖を示すと、神話が「世界史の中で生きている」ことが伝わりやすいでしょう。

名称伝承圏役割・性格*Yemo- との関係
ユミル(Ymir)北欧神話原初の巨人同語源とする説が有力
ヤマヴェーダ神話死者の王同語源
イマアヴェスター黄金時代の王同語源
閻魔大王仏教・日本冥界の裁き手ヤマの受容形

とはいえ、語源説は仮説であり、研究者のあいだでも議論は続いています。
ここは断定を避けるべき場所です。
実際、授業で扱うときも「有力だが確定ではない」と前置きしてから進めるほうが、かえって議論の射程が見えます。
神話の連関は、強く言い切るより、どこまでが確実でどこからが推定かを分けて読むときに、いちばん鮮明になるのです。

『原初の犠牲で世界が始まる』神話の型

この語源の連なりがさらに面白いのは、名だけでなく筋立てにも共通性があることです。
ローマ建国神話では、双子の兄弟レムス(Remus)がもう一人の双子ロムルスに殺され、そこから国家の物語が立ち上がります。
原初の存在の一方が犠牲となり、その死が世界や秩序の始まりを促す——こうした構造は、比較神話学ではしばしば注目されます。

この型を学者は Yemo と Manu の神話と呼びます。
共通祖型があったと断定するのは慎重であるべきですが、ユミル、ヤマ、イマ、レムスに見える一致は、ばらばらの偶然として片づけるには整いすぎています。
原初の双子、犠牲、創世、国家の成立という並びは、古いインド・ヨーロッパ系の想像力が共有していた世界観の名残なのかもしれません。
そこで見えてくるのは、神話がただの昔話ではなく、人間が「世界はどう始まったのか」を考え抜いた痕跡だという事実です。

現代の創作に生きるユミル|ゲーム・アニメでの登場

『進撃の巨人』の始祖ユミルは、北欧神話の原初の巨人ユミルを下敷きにした創作キャラクターです。
現代の日本でユミルという名に触れる入口は漫画やアニメ、ゲームが多く、そこで覚えた印象のまま原典へ進む読者も少なくありません。
だからこそ、名前の由来と設定の違いを切り分けて見る視点が役に立ちます。
創作を入口にして神話へ戻ると、元の物語の輪郭がいっそうはっきり見えてきます。

『進撃の巨人』の始祖ユミルとの関係

『進撃の巨人』の始祖ユミル、すなわちユミル・フリッツの名は、北欧神話のユミルに由来すると考えられます。
物語の中では世界の成立に関わる根源的な存在として配置されており、その役割の重さが原典のイメージを呼び込みます。
ただし、そこで起こっているのは模倣ではなく再構成です。
原典のユミルは世界の材料となる巨大な原初存在であり、人物像としての性格づけはむしろ薄いのに対し、『進撃の巨人』では記憶、血統、歴史の連鎖を背負う少女として描かれます。
ここを混同すると、神話と創作の関係が見えなくなってしまいます。

授業で学生に「『進撃の巨人』のユミルと北欧のユミルは何が同じで何が違うか」を問うと、最初は名前の一致だけに注目することが多いものです。
けれども、原典ではユミルは両性具有の巨大な巨人で、進撃の少女像とは性別も設定も異なります。
その差に気づいた瞬間、学生のまなざしが「似ているか」から「なぜ似せたのか」へ移る。
そこが面白いところでしょう。
創作は神話をそのまま運ぶのではなく、現代の物語に合う形へ組み替えるのです。

ゲーム作品に見る巨人・創造モチーフ

ゲーム作品でも、北欧神話由来の語は広く使われています。
オーディン、トール、ロキ、ヴァルキリーといった名は、キャラクター名としても世界観の核としても頻繁に登場し、巨大な力、戦い、運命、死者の導きといったイメージを素早く呼び起こします。
ユミルも同じで、巨人や創造のモチーフと結びつくことで、「世界の始まり」や「秩序以前の荒々しさ」を一語で示せる便利さがあります。
だからゲームやアニメでは、単なる神名の借用にとどまらず、設定全体の空気を支える役割まで担うのです。

こうした用法は、原典を知らなくても楽しめますが、知っていると受け取り方が変わります。
ゲーム経由で北欧神話に入った読者が『エッダ』を手に取り、原典の素朴で荒々しい世界に驚く。
その瞬間に立ち会えることが、神話を解説する側にとっては何よりうれしい場面です。
創作で覚えたオーディンやトールを手がかりに、なぜその名が英雄や戦士と結びついたのかをたどると、北欧神話全体の見通しもよくなります。
ユミルはその入口として、とてもおすすめです。

原典のユミルと創作キャラの違い

原典のユミルは、創作キャラクターと同一視できる存在ではありません。
北欧神話でのユミルは両性具有の巨人であり、世界が成立する以前の混沌を体現する原初存在です。
ここでは「人物」としてのドラマよりも、「宇宙がどう始まったか」を示す機能が前面に出ています。
これに対し、現代作品のユミルは感情や選択を持つキャラクターとして再配置されるため、読者は共感や物語の転回を通して受け取ることになるのです。

原典主義の立場から見ると、創作と神話を行き来する読み方が最も実りあります。
『進撃の巨人』やゲーム作品でユミルを知ったあとに原典へ戻ると、千年前の人々が「世界はどこから来たのか」に与えた答えの生々しさに触れられます。
逆に原典を読んでから創作に戻れば、名前の借用がどのように物語の重みを増しているかも見えてきます。
オーディン、トール、ロキ、ヴァルキリーといった他の北欧神話由来の名も同じ目で眺めてみてください。
違いを知るほど、創作の面白さは増していくはずです。

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柊 瑛太

西洋古典学を専攻し、ギリシャ・北欧・ケルト神話の原典講読を続ける神話研究家。比較神話学の視点で神話間の共通構造を分析する記事を得意とします。

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