フギンとムニン|オーディンの二羽の鴉と思考・記憶
フギンとムニンは、北欧神話の主神オーディンに仕える一対のワタリガラスであり、古ノルド語ではそれぞれ「思考」と「記憶」に由来する名を持つ。
夜明けに世界へ飛び立ち、夕暮れには肩へ戻って見聞きしたことをささやくため、二羽は神の「目と耳」として語られてきました。
この像は『詩のエッダ』のグリームニルの言葉と、13世紀のスノッリ・ストゥルルソンによる『散文エッダ』ギュルヴィたぶらかし第38章という、二つの原典を突き合わせるといっそう鮮明になります。
筆者が原典を読み進める中でも、韻文の一節が散文へと翻案される手つきを追うと、スノッリが何を補い、どこをそのまま残したのかが見えてきました。
とりわけ有名なのが、オーディンが「フギンが戻らぬことを恐れるが、ムニンのことはさらに恐れる」と語る箇所です。
なぜ思考より記憶の喪失を重く見るのかという問いは、この神話を単なる鳥の物語ではなく、オーディンの知性と不安を映す主題へ引き上げます。
さらに、5〜6世紀の金製ブラクテアートやヴェンデル期の兜飾り板には、槍を持つ人物と二羽の鳥が描かれており、フギンとムニンは中世写本だけに閉じない存在として立ち上がります。
原典と図像の両方を手がかりに、その意味を順にたどっていきましょう。
フギンとムニンとは|オーディンの肩に留まる二羽の鴉
フギンとムニンは、オーディンの両肩に留まる一対のワタリガラスで、毎朝夜明けに飛び立ち、夜には帰還して耳元へ見聞きしたことをささやきます。
名はそれぞれ古ノルド語のhugrとmunrに由来し、思考と記憶を体現する存在として、神が世界の動きを居ながらにして把握するための目と耳になっています。
原典では『詩のエッダ』グリームニルの言葉と『散文エッダ』ギュルヴィたぶらかしにしか姿を見せませんが、その短い記述だけで、二羽がオーディン信仰の核に深く結び付いていたことがわかります。
二羽の鴉が担う「目と耳」の役割
フギンとムニンが運ぶのは、単なる伝令ではありません。
戦場の趨勢からミズガルズの出来事まで、オーディンが知るべき情報そのものです。
知恵と戦の神にとって、情報は飾りではなく力の源泉ですから、二羽は世界を飛び回る情報網として機能しているのです。
夜明けに発ち、夜には戻るという日課も、偶然の旅ではなく、神の知を毎日更新する仕組みとして読むと腑に落ちます。
『詩のエッダ』グリームニルの言葉では、変装したオーディンが王子に語る場面で二羽が言及され、フギンの帰還を案じ、さらにムニンのことをより強く恐れる一節が置かれます。
直前に狼ゲリとフレキが語られる配置も印象的で、知性を担う鴉と力を担う狼が対をなしているように見えます。
『散文エッダ』ギュルヴィたぶらかし第38章では、この詩句を踏まえつつ、二羽が肩に戻って耳元でささやく様子が散文で補われ、神の「目と耳」という役割がいっそう明確になります。
ℹ️ Note
博物館の北欧資料で渡鴉の剥製を間近に見たとき、体格の大きさと眼光の鋭さが強く印象に残りました。古代の人々がこの鳥に知性と神性を重ねた感覚は、あの迫力を前にすると自然に理解できます。
ワタリガラス(渡鴉)という鳥種
フギンとムニンがワタリガラスであることにも意味があります。
ワタリガラス(渡鴉)はカラス科で最も大型の知能の高い鳥で、北欧の人々にとって身近でありながら、同時に畏怖の対象でもありました。
二羽をただの鳩のような使い走りではなく、賢い鳥として描くことで、神話は「知性が神の権能を支える」という感覚を視覚的にも伝えているのです。
ここには、鳥そのものの生態と象徴が重なっています。
腐肉食で、戦場の死体に群がる渡鴉の姿は、死と戦の気配を帯びた存在として古代人の眼に映ったはずです。
しかも、観察するだけでなく、上空から広く見渡し、動き回る鳥でもある。
こうした性質が、世界を巡って情報を持ち帰るフギンとムニンのイメージを支えています。
現代の博物館で剥製を見てもなお、この鳥がただの背景ではなく、神の権威を補う象徴として選ばれた理由が見えてきます。
オーディンが「鴉の神(フラフナグズ)」と呼ばれる理由
オーディンには無数の異名があり、そのひとつが「鴉の神」を意味するフラフナグズです。
筆者が異名を一覧で確かめたとき、数ある呼び名の中でもこの名は特に、オーディンと鴉の結び付きを端的に示していました。
フギンとムニンが後付けの装飾ではなく、信仰の中心に近い存在だと感じたのは、その瞬間です。
異名は単なる呼称ではなく、神の性格を凝縮した証言でもあります。
この結び付きは、神話のテキストだけでなく、考古学的な物証にも響きます。
渡来期の金製ブラクテアートやヴェンデル期の兜飾り板には、槍を持つ人物と二羽の鳥が描かれ、オーディンと二羽の鴉を想起させますし、ヴァイキング期には鴉の旗フラフナグズ・メルキが首長に掲げられました。
二羽は神の意識や魂の延長としても読まれ、記憶の喪失を恐れる一節さえ、人間の不安を映す神話としてより深く理解できるでしょう。
名前の意味と語源|hugrとmunrが示す「思考」と「記憶」
フギンとムニンの名は、それぞれ古ノルド語のhugrとmunrにさかのぼります。
前者は原ゲルマン語hugiz、後者は原ゲルマン語munizに由来し、どちらも単純な固有名というより、オーディンの内面を映す語として読むのが自然です。
二羽を「思考」と「記憶」と並べるだけでは足りず、そこに含まれる心の動きの広がりまで見ておく必要があります。
フギン=hugr(思考・心)の語義
フギンの語源であるhugrは、古ノルド語で「思考」と訳されますが、実際にはもっと広い語です。
原ゲルマン語hugizに遡るこの語は、頭の中で論理を組み立てる働きだけでなく、心、気質、意図のような内面全般を含みます。
つまりフギンは、知性そのものというより、世界へ向かって働き出す精神のはたらきを担う名だと考えるほうがしっくりきます。
オーディンの肩に戻る鳥としての姿も、単なる情報収集役ではなく、思考が外界を巡って帰ってくる循環を示しているのでしょう。
この語の幅を意識すると、フギンがムニンと対で置かれる意味も見えてきます。
二羽は似た響きを持ちながら、片方が外へ広がる精神作用、もう片方が内に留める働きを担うからです。
声に出して hugr と munr を読み比べると、フギン・ムニンという日本語表記の近さにも納得がいきます。
響きの対称性そのものが、最初から一対として設計された痕跡のように感じられるのです。
ムニン=munr(記憶・意志・情)の広がり
ムニンの語源であるmunrは、古ノルド語で「記憶」と説明されます。
だが原ゲルマン語munizにさかのぼるこの語は、辞書で引くとすぐに「記憶」だけでは終わりません。
意志、欲求、愛情、心、気分まで並び、日本語の一語にきれいに収めるのが難しい語だとわかります。
実際に辞書で munr を見たとき、これほど語義が開いているのかと驚かされました。
研究者の間で訳語が揺れるのも当然でしょう。
ここが重要です。
ムニンは、単に過去を保存する鳥ではありません。
何を欲し、何を忘れず、何に心を寄せるのかという、記憶と情意の結び目そのものを指しているように見えます。
オーディンがムニンの帰還をとくに案じる一節も、記憶の喪失が神にとって深刻な危機であることを示します。
記憶とは、出来事の倉庫ではなく、人格の連続性を支える働きなのです。
「思考と記憶」という訳語の限界
フギンとムニンを「思考と記憶」と並べるのは、理解の入口としては便利です。
ただしそれは便宜的な近似であって、原語の輪郭をそのまま写した訳ではありません。
hugr には心や意図が、munr には意志や欲求や愛着が含まれる以上、二羽は単なる認知機能の分担ではなく、オーディンの精神全体を二つの方向に分けた象徴として読むほうが正確です。
この読み方に立つと、神話の情景も変わって見えます。
二羽は夜明けに世界へ飛び立ち、夕暮れまでに肩へ戻って耳元でささやく。
ここで問われているのは、知識の収集だけではなく、世界をどう受け取り、どう心に留め、どう次の行為へつなぐかという問題です。
鴉は神の目と耳であると同時に、心の外化でもある。
フラフナグズという異名が示す通り、この結び付きこそがオーディン像の核心だと言えるでしょう。
原典の記述①|『詩のエッダ』グリームニルの言葉
『詩のエッダ』の『グリームニルの言葉』に残る二羽の最古層の言及は、おおよそ第20節に置かれている。
そこでは、変装したオーディンが若い王子アグナルに向けて、自らの世界の秘密を語る流れの中で、フギンとムニンが毎日ミズガルズの上を飛ぶと明かされる。
韻文としての簡潔さゆえに短い一節だが、後世の理解を方向づける出発点はここにある。
変装した神グリームニルが明かす二羽
『グリームニルの言葉』の枠組みは、ただ神話的な情報を並べるだけのものではない。
オーディンがグリームニル、つまり頭巾をかぶった者と名乗り、変装したままアグナルに語ることで、知識は最初から秘匿と開示のあわいに置かれる。
通読すると、世界の秘密が一気に語られる構成の中に鴉の節がさりげなく挟まれており、見落としやすいのに核心を突く一節だと感じられる。
だからこそ、この場面は単なる鳥の名の列挙ではなく、オーディンが自らの視線と記憶を世界へ伸ばしている瞬間として読むべきでしょう。
「ムニンをより恐れる」一節の解釈
第20節でオーディンは、フギンが戻らぬことを恐れるが、ムニンのことはさらに恐れると語る。
ここで前面に出るのは、思考そのものより記憶の喪失を重く見る感覚です。
鴉の名がそれぞれ思考と記憶を指す以上、戻らないことへの恐れは単なる使い走りの不安ではなく、神の認識が世界から切断される危機を示す。
読者にとって重要なのは、この一節がオーディンの全知を保証する場面ではなく、むしろ全知が失われうるという緊張を明示している点にあります。
狼ゲリ・フレキと並ぶ配置の意味
この節の直前では、オーディンの二匹の狼ゲリとフレキが語られる。
鴉の節が狼の節と隣り合って置かれているため、詩人が知性を担う鴉と力を担う狼を対で配列していたことが見えてくる。
ここには、オーディンに属する眷属を単独の象徴としてではなく、性質の異なる二項の組として提示する構成意識がある。
鴉が見聞と記憶を、狼が暴力と威力を想起させる以上、この並置は神の権能を立体的に見せる仕掛けになっているのです。
とはいえ、韻文の記述は簡潔で、二羽の役割の細部までは語られない。
だから後世のスノッリによる散文の補足が重要になり、『詩のエッダ』と『スノッリのエッダ』の二つを併読してはじめて、鴉が何を運ぶ存在として理解されたのかが見えてくる。
原典の短さは不親切ではない。
むしろ、その空白が後代の補足を呼び込み、オーディンの鴉をめぐる解釈史そのものを生み出したのである。
原典の記述②|『散文エッダ』ギュルヴィたぶらかし第38章
ギュルヴィたぶらかし第38章は、スノッリ・ストゥルルソンが13世紀に編んだ『散文エッダ』の中でも、フギンとムニンを最も体系的に説明した箇所です。
ここでは鴉の神という別名を持つオーディンと二羽の鴉の関係が、単なる神名の列挙ではなく、伝承を読み物として整理する手つきで示されます。
古い詩句を地の文に織り込み、神話を典拠付きで理解可能な形へ組み替えている点が、この章の特徴です。
スノッリが体系化した散文版の役割
スノッリ・ストゥルルソンの『散文エッダ』は、口承で伝わっていた北欧神話を、13世紀の知識人が読み解ける形にまとめた書物です。
その第一部にあたるギュルヴィたぶらかし第38章では、フギンとムニンの説明がひとまとまりの知識として提示され、鴉の神という別名を持つオーディンの性格まで見通せるようになっています。
ここで大切なのは、神話をただ保存するのではなく、後の読者が筋道立てて理解できるように再構成している点でしょう。
この章の書きぶりには、歴史家としての姿勢がはっきり出ています。
筆者が第38章を読み返したときも、スノッリは単に物語を語るのではなく、伝承を典拠付きで体系化しているのだと感じました。
グリームニルの言葉の当該節を引用することで、散文の説明が独り歩きしていないことを示し、古い詩句に根を張った説明へと読者を導いているからです。
肩に留まり耳元でささやく描写
第38章で印象的なのは、二羽の鴉がオーディンの肩に留まり、世界を飛び回って見聞きしたことを耳元でささやくという描写です。
さらに、夜明けに飛び立ち、翌朝食前までに帰るという日課まで具体化され、神話上の存在がぐっと手触りを持ちます。
こうした補い方は、断片的な詩句だけでは見えにくい関係を、読者の頭の中で一つの場面として結晶させる働きを持つのです。
ここでの散文化は、単なる説明の増量ではありません。
肩に留まるという位置関係は、オーディンが世界の情報を鴉から受け取るという機能を視覚化し、耳元でささやくという動作は、知識が神の意思決定へ直結する感触を与えます。
鴉の神という別名も、こうした情報収集と監視のイメージと重なっており、フギンとムニンがオーディン神話の中心的な知性の装置として読めるようになるわけです。
韻文版と散文版の記述差
韻文版の『グリームニルの言葉』では、フギンとムニンの存在は短く示唆されるだけで、読者は余白を自分で埋める必要があります。
これに対して『散文エッダ』第38章は、その余白を説明によって埋め、神話を読み物として整理します。
両者を並べて見ると、同じ鴉の話が、簡潔な詩から説明的な散文へと膨らんでいくのが分かり、伝承が編集されていく現場をのぞき込んだような感覚が残ります。
韻文と散文の差は、単なる文体の違いではありません。
口承の断片が写本文化に入ると、神話は引用され、補われ、順序立てられます。
その過程で、フギンとムニンは神秘的な二羽の鴉であると同時に、オーディンが世界を把握するための知的な回路としても読めるようになるのです。
筆者はこの対照に、北欧神話が古層の詩から知識体系へ移る瞬間を見ます。
鴉とオーディン|考古学と戦場の生態が裏付ける結び付き
渡来期(5〜6世紀)の金製ブラクテアートと、ヴェンデル期(6〜7世紀)の兜飾り板は、フギンとムニンが中世写本だけの存在ではないことを示す。
槍を持つ騎乗者のそばに二羽の鳥が置かれた図像は、文字になる前から「二羽の鳥を伴う槍の神」という像を北方世界に根づかせていたからだ。
図像は神話の飾りではなく、信仰がどの順番で形を取ったかを教えてくれる証拠でもある。
ブラクテアートと兜飾りに残る二羽の鳥
渡来期(5〜6世紀)の金製ブラクテアートは、薄い金製の護符状の円板に、槍を持ち馬に乗る人物と一羽ないし二羽の鳥を刻んだ小さな図像群だ。
この人物はオーディン、鳥は二羽の鴉と同定されてきた。
護符として身に着けられた可能性を考えると、そこに込められた意味は戦いの勝利だけではない。
身を守る力、戦場を見渡す知、そして神が人間の近くにいるという感覚まで含んでいたはずです。
さらにヴェンデル期(6〜7世紀)にスウェーデンの墳墓から出土した兜の飾り板にも、騎乗し槍を構える人物と二羽の鳥が並ぶ意匠が見られる。
図録でこの金属工芸を見たとき、エッダより数百年古いにもかかわらず、二羽の鳥がはっきり並んでいた事実に圧倒された。
文字資料が残るより前に、同じ構図がすでに定着していたのである。
神話は文献から始まるのではなく、工芸品の表面で先に形になっていたのだ。
鴉の旗(フラフナグズ・メルキ)と戦の象徴
ヴァイキング期の9〜11世紀になると、鴉は軍旗の意匠としても前面に出てくる。
鴉の旗、古ノルド語フラフナグズ・メルキは、各地の首長が掲げた戦の標章であり、ただの装飾ではなかった。
戦場でひるがえる鴉は、オーディンの加護と戦勝を周囲に示す合図で、味方の士気を鼓舞し、敵に畏怖を与える実用的なシンボルだったのである。
この変化が示すのは、鴉が神話的存在から戦の現場へ降りてきたということだ。
図像のなかの鴉は、やがて布の上に移され、首長権力の可視化に使われた。
神の鳥は、戦の空気を支配する旗印になった。
そう考えると、鴉は単なる神の使いではなく、勝敗を分ける場面にまで入り込んだ象徴だったとわかります。
腐肉食という生態が結んだ死と神
その背景には、鴉の生態そのものがある。
渡鴉は腐肉食で知能が高く、軍勢の後を追って戦場の死体に群がる。
古代の人々がこの光景を見れば、死と鴉は切り離せなかったはずだ。
だが北欧の人々は、それを不吉なだけのものとは受け取らなかった。
死体に集まる鳥の動きに、死者を知る神の視線を重ねたからです。
実際の戦跡や古戦場に渡鴉が群れる場面を思い浮かべると、なぜその連想が生まれたのかが理屈抜きで理解できる。
死の匂いに引き寄せられる鳥、戦場の沈黙を破る羽音、そこに神の気配を読む感覚は、想像の産物というより観察から育った認識だ。
鴉が見つめる戦いはオーディン自身が見つめる戦いだと解されたのは、自然の振る舞いがそのまま神性の証拠になったからである。
シャーマニズム的解釈|飛ぶ思考と記憶という魂の延長
フギンとムニンをめぐる学術的な読みは、二羽を単なる伝令ではなく、オーディンの意識が外へ伸びたものとして捉えるところから始まります。
思考と記憶という名を持つ鴉が空を飛ぶ描写は、知を遠くへ送り出し、見えないものを回収する働きをそのまま神話化したものだと読めるからです。
ここには、予知や情報収集を担う神としてのオーディン像が、より切実な「魂の動き」と結びついて見えてきます。
意識を飛ばすシャーマンの比喩として
現代の研究者は、フギンとムニンをシャーマンのトランス旅に近いものとして読むことがあります。
脱魂の民族誌では、術者は意識を肉体の外へ送り出し、目に見えない知識や失われた答えを持ち帰る存在として描かれるでしょう。
オーディンが思考と記憶を鴉として外在化する姿は、その働きを北欧神話の語彙で言い換えた比喩に見えるのです。
この読み方を押し広げるうえで、オーディンがセイズと深く結び付く神である点は見逃せません。
セイズは予言を伴う呪術であり、知を受け取るだけでなく、異界へ手を伸ばす行為でもあります。
研究者ジョン・リンドウが二羽をシャーマンのトランス旅と関連付けて論じるのも、鴉が単なる使いの鳥ではなく、情報そのものの移動を担う存在だと考えるからでしょう。
筆者もリンドウらの研究を読み進めたとき、グリームニルの言葉にある「恐れ」の一節が、一気に立体的に見えました。
フュルギャ・ハミングヤと魂の概念
フギンとムニンは、北欧の魂概念であるフュルギャやハミングヤと並べて考えられます。
フュルギャは守護霊や分身に近く、ハミングヤは運命や生の勢いを担う魂の側面として理解されるため、どちらも人の内側に閉じたものではなく、外へ現れ、移動し、影響を与える性格を持っています。
鴉がオーディンの周囲を飛ぶのではなく、彼の意識の一部として飛ぶという発想は、この魂の可塑性とよく響き合うのです。
脱魂型シャーマニズムの民族誌と北欧神話を読み比べると、思考と記憶を鳥として外在化する発想は、世界各地の巫術と通じています。
何かを知るとは、頭の中で閉じて完結することではなく、必要なときに魂の一部を送り出し、外界から回収することでもある。
そう考えると、フギンとムニンはオーディンが自在に派遣できる魂の分身であり、神と世界をつなぐ可動する知の器官だと分かります。
なぜ「記憶」の喪失をより恐れるのか
オーディンがムニン、つまり記憶の喪失をより恐れるという一節は、この枠組みで読むと腑に落ちます。
思考は新たに生み出せても、記憶は一度失われれば同じ形では戻らないからです。
鴉が魂の延長であるなら、その喪失は単なる道具の損失ではなく、自己の一部が空に消えることに等しい。
ここに、全知に近い神であっても逃れられない脆さが刻まれています。
この不安は、神話を人間的な感情へ引き寄せる力を持っています。
オーディンが恐れているのは、情報を得られなくなることだけではありません。
思い出し、蓄え、再び手繰り寄せるはずのものが失われる、その不可逆性です。
だからこそムニンは特別であり、フギンと並ぶ二羽の鴉は、知識の象徴であると同時に、魂の失われやすさを告げる存在として読めるのです。
現代に生きるフギンとムニン|ゲーム・象徴としての受容
フギンとムニンは、原典ではオーディンの周囲を飛び、見聞したことを持ち帰る二羽の鴉として語られるが、現代ではその役割を保ちながらポップカルチャーの中で新しい輪郭を得ている。
ゲームやアニメでは二羽がそろって登場する例が多く、モバイルゲームのカードやキャラクターとして名を見かける機会も少なくない。
原典の知名度より先に、こうした創作を通じて二羽を知る読者が増えたのは自然な流れだろう。
ゲーム・創作での登場例
ゲーム作品でフギン・ムニンの名を冠したキャラクターに出会うと、原典を知る者ほど脚色の自由さと原型の強さを同時に感じる。
名前だけを借りた存在もあれば、二羽で一組の相棒として描かれることもあり、その扱い方には作品ごとの解釈がにじむ。
筆者自身、最初は「そこまで変えるのか」と驚きながら、同時に「それでもフギンとムニンだ」と納得した経験がある。
古い神話が、キャラクター造形の部品として今も機能している証拠ではないだろうか。
知性と情報のシンボルとしての定着
現代ではフギンとムニンは、知恵・情報・監視のシンボルとして広く引用される。
企業ロゴやエンブレム、占いやタロット的な文脈でも、二羽の鴉は「思考」と「記憶」を運ぶ存在として使われ、原典の枠を越えて意味が拡張してきた。
鴉という鳥自体が、古今東西で知性と不吉さの両義を帯びてきたことを思えば、この受容は偶然ではない。
千年前の神話が、いまも視覚言語として静かに生きている。
現代の意匠やロゴで二羽の鴉が知性の象徴として使われる例を集めていくと、情報を集めて見通すという機能が、図像の中で驚くほど自然に共有されているとわかる。
筆者にとって印象的だったのは、その集積を追うほどに、神話が単なる物語ではなく、いまも使える記号として残っていると実感できたことだ。
おすすめです、神話を読むときに創作の現在地まで一緒に見る視点は。
原典のイメージと創作の違い
ただし、創作での描写は原典と必ずしも一致しない。
原典のフギンとムニンはあくまでオーディンの情報網であり、独立した冒険者ではないが、現代作品ではしばしば自立したキャラクターとして脚色される。
二羽に人格や行動原理を与えることで、作品は親しみやすさを得るが、そのぶん元の神話が持っていた「神のために世界を見渡す目」という性格は薄まりやすい。
原典と二次創作の差を意識すると、同じ名前でも見え方が変わる。
だからこそ、フギンとムニンを現代作品で見つけたときは、原典との距離を確かめながら楽しんでみてください。
二羽はキャラクターとして消費されるだけでなく、神話の記憶を今日の図像へ運ぶ媒介でもあるからです。
原典を踏まえたうえで創作を眺めると、鴉の翼の下にある時間の厚みまで感じ取れるでしょう。
西洋古典学を専攻し、ギリシャ・北欧・ケルト神話の原典講読を続ける神話研究家。比較神話学の視点で神話間の共通構造を分析する記事を得意とします。
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