スルトとは|世界を焼く炎の巨人の正体
スルトは北欧神話で神々と敵対する炎の巨人であり、その名は古ノルド語で「黒」「浅黒い」を意味します。
エッダ文学を原語で読み進めると、この「黒」という名が闇ではなく、炎が焼き尽くした後に残る炭や灰の黒さを指すという解釈に行き着き、スルトゥル(Surtur)を何者か曖昧に覚えている読者にも、原典の輪郭がくっきり見えてきます。
スルトは世界の南にある炎の国ムスペルヘイムの入口に立つ番人で、原初の巨人ユミルより古い世代に属するとされる、天地創造より前から存在した根源的な存在です。
ムスペルヘイムの火花が氷の世界ニヴルヘイムと出会って世界が始まったという宇宙論のなかに置くと、彼は単なる「ラスボス」ではなく、世界の始まりと終わりの両方に触れる存在だとわかります。
さらにスルトの代名詞は、太陽より明るく輝く炎の剣です。
『ギュルヴィたぶらかし』で語られるこの剣は、ラグナロクで世界を焼き尽くす力の象徴であると同時に、フレイがゲルズへの求婚で手放した宝剣が巡って渡ったという伝承を思わせ、一本の剣が物語全体を貫いていることを示します。
ラグナロクでは、スルトはムスペルの子らを率いて南から進軍し、ヴィーグリーズの野で神々と激突します。
最後に世界へ火を放って大地を海へ沈めるものの、北欧神話の終末は燃え尽きるだけでは終わらず、新しい大地が浮かび上がる再生の物語でもあり、スルトの炎が破壊と再生の両義性を帯びることが見えてくるでしょう。
スルトとは|「黒」を名に持つ炎の巨人
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | スルト |
| 性格 | 北欧神話のヨトゥン(巨人族)で、炎を司る存在 |
| 名の意味 | 古ノルド語で「黒」「浅黒い」 |
| 英語表記 | Surtr / Surt / Surtur |
| 主な典拠 | 『詩のエッダ』『散文エッダ』 |
スルトは、北欧神話で神々に敵対するヨトゥン(巨人族)であり、炎を司る存在です。
名は古ノルド語で「黒」「浅黒い」を意味し、黒を表すSvartrと同系の語だとされます。
名前そのものが性格を映しているため、単なる怪物ではなく、破壊と終末の気配を帯びた存在として読めるでしょう。
「黒」が指すのは焼け跡の色という説
「スルト=黒」と知ったとき、炎の巨人なのになぜ黒なのかと感じる人は少なくないはずです。
筆者も最初はそうでしたが、原典注釈で焼け跡の黒、つまり炭や灰、焦土の色を指すという説明に触れて腑に落ちました。
火そのものの赤ではなく、火が通り過ぎた後に残る黒さを名にしたと考えると、スルトの輪郭が一気に具体的になります。
この解釈は、スルトを「燃やす存在」ではなく「燃やし尽くした後の世界を示す存在」として捉え直す手がかりになります。
炎は眩いだけではなく、最後には黒い残滓を残す。
そこに名が結びつくので、名前と役割がずれるどころか、むしろ一致しているのです。
ゲームでスルトゥルしか知らなかった読者ほど、エッダの記述に触れると印象が変わるでしょう。
筆者自身、その順番で像が反転しました。
炎の巨人ムスペルの王としての位置づけ
スルトはムスペルヘイムに属する炎の巨人族、ムスペルを率いる王格の存在として語られます。
世界の南にある火の領域の入口に立つ番人であり、さらに原初の巨人ユミルより古い世代に属するとされる点が、彼を普通の敵役以上の存在にしています。
創造神話でムスペルヘイムの火花がギンヌンガガプで氷の世界ニヴルヘイムと出会い、ユミルや太陽・月・星の成立へつながることを思うと、スルトの炎は終末だけでなく始まりにも関わる根源的な力です。
| 観点 | スルト | ギリシャ・エジプトの主神 |
|---|---|---|
| 立場 | ムスペルを率いる敵対者 | 信仰される中心神 |
| 役割 | 世界を終わらせる側 | 世界秩序を支える側 |
| 物語での位置 | ラグナロクの進行者 | 礼拝と統治の象徴 |
ゼウスやオシリスのように崇敬の中心になるのではなく、世界の破局へ歩みを進める側に立つ。
そこが決定的に異なります。
神格でありながら、共同体が拝む守護者ではなく、終末を実行する存在として描かれるからこそ、スルトは北欧神話らしい緊張感を背負っているのです。
ゼウスやオシリスとは異なる「敵役」の神格
スルトの英語表記はSurtrやSurtで、ゲームや映画ではSurturの形でも知られています。
表記が揺れて見えても、指しているのは同じ一柱です。
ここを押さえると、創作で先に触れた読者も原典へつながりやすくなります。
名前の見え方が変わるだけで、存在の核まで別物になるわけではありません。
現代作品では、スルトは巨大な炎の怪物として強調されがちですが、元の神話ではもっと古層的で、世界の生成と破滅の両方に関わる存在でした。
炎の剣、ラグナロク、最後の火放ちへと連なる筋道を知ると、ただのラスボスでは片づけられません。
むしろ、神々の側に立たないまま神話の最深部を動かす、珍しいタイプの神格だと分かります。
ムスペルヘイムの番人|天地創造より古い存在
ムスペルヘイムは、北欧神話で世界の南に置かれた炎の国であり、スルトはその入口に立つ番人として描かれます。
氷の世界ニヴルヘイムと対をなすこの配置は、宇宙が最初から氷と炎の緊張で成り立っていたことを示しており、スルトの役割をただの破壊者に閉じ込めません。
博物館や図版で両者の二極構造を見たとき、彼の位置づけが空間として腑に落ちる感覚がありました。
氷と炎が出会う原初の裂け目ギンヌンガガプ
創造神話の核心は、ムスペルヘイムの火花が原初の裂け目ギンヌンガガプでニヴルヘイムの氷と出会う場面にあります。
熱で氷が溶け、原初の巨人ユミルが生まれたという筋立ては、世界の始まりが静かな生成ではなく、相反する力の接触から立ち上がったことを語ります。
スルトの炎は終末の火である前に、まず宇宙の輪郭を押し開く根源の火なのです。
この構図を読み返すたび、終末を担うスルトの炎が始まりの火花と地続きだと気づき直します。
対立はそのまま創造の条件であり、北欧神話では破壊と誕生がきれいに分かれていません。
だからこそ、ムスペルヘイムの名は世界の起点を考えるうえで外せない手がかりになるのです。
創造の火花から生まれた太陽・月・星
散文エッダは、ムスペルヘイムから飛んだ火花が太陽・月・星になったと記します。
ここで注目したいのは、炎がただ焼き尽くすだけではなく、天体という秩序を生む点でしょう。
空の明るさが破壊の副産物として語られるため、スルトの領域は荒々しさと配列の両方を抱えた場所になります。
神話の感覚では、天の光はどこか遠いものではなく、火の飛沫が変じた痕跡として読めます。
そう考えると、ムスペルヘイムの炎は世界の外側にある異物ではなく、宇宙の内部を最初から走っていた力だとわかるはずです。
散文エッダのこの一節は、スルトを単なる終末の象徴と見る理解を静かに揺さぶります。
燃える剣を手に世界の果てを守る番人
スルトは原初の巨人ユミルより古い世代に属するという伝承があり、天地創造より前から世界の果てで燃える剣を手に立っていたとされます。
ここにあるのは、戦場の敵というより、時間の両端を見渡す境界の守衛に近い姿です。
古い世代でありながら、終わりの局面で再び前景化するのがスルトの面白さでしょう。
燃える剣は、この番人像を決定づける記号です。
原初から黄昏までを貫く存在として見れば、スルトはラグナロクで突然現れるのではなく、世界の設計そのものに最初から組み込まれていたことになる。
古い伝承をたどるほど、彼の炎は終末のためだけでなく、始まりを見張る火でもあったと感じられます。
スルトの炎の剣|太陽より輝く滅びの武器
スルトの炎の剣は、散文エッダ『ギュルヴィたぶらかし』で太陽より明るく輝くと描写される、北欧神話でも屈指の印象的な武器です。
ただの武器ではなく、燃えさかる終末そのものを体現する象徴として置かれているため、ラグナロクの場面ではスルトの存在感を決定づける核になります。
原文でこの輝きを読むと、光が救済ではなく破壊へ転じる感触が強く残ります。
ギュルヴィたぶらかしが描く燃える剣
『ギュルヴィたぶらかし』が伝えるのは、スルトが手にする剣の異様な明るさです。
散文エッダの中でも「太陽より明るく radiance shines brighter than the sun」と言い切る表現は際立っており、金属の武器を超えて、世界を焼き払う火そのものを想像させます。
筆者がこのくだりを原文で読んだときも、眩しさの描写がそのまま終末の暴力へつながっていく構成に唸りました。
この剣が特別なのは、単にスルトが強いからではありません。
神話の言葉遣いそのものが、剣を「勝つための道具」ではなく、境界を壊し、秩序を焦がす力として扱っているからです。
だからこそ、ラグナロクでスルトが火と剣を携えて現れる場面は、戦闘の開始点というより、世界の輪郭が崩れ始める合図として読めます。
フレイの宝剣がスルトに渡ったという伝承
この剣には、フレイが手放した宝剣だという伝承が付随します。
一説によれば、豊穣神フレイは巨人の娘ゲルズに求婚する際、従者スキールニルに名剣を譲り渡しました。
その剣が方々を巡り、最終的にスルトの手に渡ったと考えられた、という流れです。
神々の持ち物が移動するだけで、物語の重心が一気に動くのが神話らしいところでしょう。
筆者がフレイの求婚譚、すなわちスキールニルの旅を読んだときも、この「手放された剣」が後から効いてくる構成美に強く引き込まれました。
求婚の成功を急いだ代償が、のちの終末でそのまま跳ね返ってくる。
一本の剣が、恋愛譚と破滅譚を同じ線でつないでいるのです。
求婚と引き換えに失われた「勝利の剣」
フレイが失ったのは、しばしば「勝利の剣」と呼ばれる名剣です。
ゲルズとの結びつきを求める代わりに、戦いに必要な武器を手放したことで、フレイは自らの未来から勝利の可能性を減らしてしまったことになるでしょう。
ここにあるのは単なる持ち物の喪失ではなく、欲望と引き換えに戦力を削るという、神話に特有の厳しい因果です。
その後、最終戦争でフレイは「勝利の剣」を持たずスルトと戦うことになります。
だからこの逸話は、フレイがラグナロクでスルトに討たれる伏線として読むと鮮やかです。
ただし、剣がスルトに渡ったという話はあくまで一つの解釈であり、原典が明示するものではありません。
確定しているのは『ギュルヴィたぶらかし』の輝く剣と、フレイが名剣を手放したという筋立てです。
そこから先をどう結ぶかで、神話の読み味は変わります。
ラグナロクとスルト|世界を焼き尽くす最終戦争
ラグナロクでスルトが果たす役割は、単なる破壊者ではなく、終末そのものを開く執行者です。
『ムスペルの子ら』を率いて南から進軍する姿は、世界の果てに封じられていた炎が動き出す瞬間として描かれ、神々の時代が終わる合図になります。
北欧神話の終末は、戦いの勝敗だけで閉じるのではなく、世界の輪郭そのものが火と海によって書き換えられる点に特徴があります。
壊れた虹の橋ビフレストを渡る進軍
ラグナロク(神々の黄昏)が訪れると、スルトはムスペルの子ら(ムスペッルスメギル)を率いて南から進軍します。
普段は世界の果てに留まっていた炎の軍勢が動き出すこと自体が、もはや取り返しのつかない局面に入ったことを告げるのでしょう。
ビフレストが壊れたあとの進軍として受け取ると、その歩みは戦場へ向かう移動ではなく、世界の秩序が支えを失って崩れていく過程そのものになります。
原典を読み通すと、ここで語られるのは軍勢の規模よりも、終末の気配の速さです。
炎の民が南から押し出してくる構図は、静止していた境界が破られる不気味さを生み、読者に「もう止められない」と感じさせます。
神話の進軍はいつも派手ですが、スルトのそれはとりわけ簡潔で、だからこそ重いのです。
ヴィーグリーズの野での総力戦
神々と巨人たちの決戦地は、広大なヴィーグリーズの野です。
ここは特定の英雄だけが活躍する場所ではなく、アースガルドを含む全勢力が激突する戦場として設定されており、神話世界の総決算にふさわしい舞台になっています。
スルトの軍がこの野へ向かうことで、戦いは局地的な争いではなく、宇宙秩序全体を巻き込む総力戦へと変わります。
この配置が重要なのは、ラグナロクが「誰が誰を倒すか」だけの物語ではないからです。
ヴィーグリーズの野は、神々の力がなお残っていても世界の崩壊を止められないことを示す場所であり、勝者と敗者の区別さえ曖昧にしてしまいます。
筆者が『ヴォルスパー』の終末描写を読み通したとき、破壊の直後に再生が語られるこの構成に、北欧神話特有の死生観を強く感じました。
終わりは断絶ではなく、次の秩序へ移るための裂け目なのです。
炎が世界を焼き、海へ沈める終末
戦いの最後にスルトは世界へ火を放ち、大地は炎に包まれ、やがて海に沈みます。
ここでの炎は城壁や戦士を焼くだけではなく、地形や空間そのものを消し去る規模であり、スルトが終末の執行者として立つ理由もそこにあります。
個々の英雄譚が積み上げてきた戦いの意味を、最後に世界単位で焼き払ってしまうわけです。
しかも北欧神話のラグナロクは純粋な終焉ではありません。
炎が燃え尽きた後、新しい大地が海から浮かび上がると語られ、破壊と再生が同じ物語の中で接続されています。
炎が世界を焼き海に沈める場面の原典は驚くほど簡潔ですが、その短さゆえに映像のような迫力があり、筆者は初めて読んだとき言葉を失いました。
スルトの火は、終わりを告げるだけでなく、次の世界が生まれる余白まで焼き残しているのです。
フレイとの相討ち|スルトが討つ豊穣の神
フレイとの戦いは、ラグナロクにおける最も象徴的な対決の一つです。
炎を全身にまとって進軍するスルトと、豊穣を司るフレイがぶつかる構図は、終末が単なる破壊ではなく、世界を支えてきた力そのものの衝突として描かれているからです。
しかもこの戦いは、勝者が未来を切り開く場面ではありません。
討つ者も討たれる者もともに消える、宿命の相討ちへと収束していきます。
勝利の剣を持たぬフレイの苦戦
フレイは本来、豊穣と繁栄を象徴する神でありながら、最終戦争ではその象徴に反して防御の薄い姿で立たされます。
名剣を手放していたため、『勝利の剣』を持たずに戦わざるを得なかったからです。
角や枝で戦ったとされる伝承は、武威よりも自然の力に結びついた神格を示す一方で、決戦の場ではその不利さをいっそう際立たせます。
求婚譚では祝福だった選択が、終末では敗北の伏線へ変わる。
この反転が、フレイの悲劇を強く印象づけるのです。
筆者がこの場面を読んだとき、幸福な結末として語られるはずの求婚譚が、ラグナロクで悲劇に転じる構成に胸を打たれました。
前章で示された剣の喪失がここで回収されるため、物語は偶然ではなく因果でつながって見えてきます。
フレイの苦戦は、単に武器の不足を語るだけではありません。
豊穣を支える神が、終末ではその豊かさゆえに守りを失っているという、神話の痛烈な逆説を示しているのです。
豊穣神を討つ炎の巨人
スルトは、フレイを討つために定められた炎の巨人として現れます。
ここで重要なのは、両者の対立が善悪の単純な図式ではないことです。
フレイは豊穣を、スルトは焼き尽くす火を体現し、世界を育てる力と終わらせる力が正面からぶつかる。
まさにラグナロクの核心でしょう。
『巫女の予言(ヴォルスパー)』にこの対決が示唆されることで、後世の作り話ではなく、古い予言の伝統に根ざした場面であることも明確になります。
この対決が古層の予言に支えられている点は、戦いの意味を大きく変えます。
フレイとスルトの衝突は、ただの英雄譚ではなく、宇宙の秩序が崩れる瞬間に何が起こるかを示す場面だからです。
火は森を焼き、同時に土を痩せさせます。
だが同時に、焼失の後にしか見えない終末の輪郭もある。
そう考えると、スルトの巨躯は破壊者であると同時に、世界の終わりを告げる予言そのものでもあります。
予言された相討ちの宿命
スルトの定めはフレイを討ち、そして自らも倒れることだとされます。
ここにあるのは一方的な勝利ではなく、相討ちの宿命です。
ラグナロクは勝者が新たな秩序を築く戦争ではなく、神々の時代そのものが瓦解する総破壊として理解すると、最も輪郭がはっきりします。
フレイが倒れるのは敗北だからではなく、世界の終焉が個別の英雄の生死を超えて進行するからです。
スルトもまた、その炎の使命を果たした後に生き残りません。
相討ちという結末を初めて知ったとき、勝者を期待していた予想はあっさり裏切られました。
だが、その裏切りこそが神話の力です。
どちらかが生き残って物語を締めくくるのではなく、両者がともに滅ぶことでしか終末は完結しない。
フレイの討死とスルトの滅びは、ラグナロクが「誰が勝ったか」を語る話ではなく、「世界がどう終わるか」を語る話であることを、静かに、しかし厳しく示しているのです。
原典で読むスルト|エッダの記述を確かめる
スルトの像は、13世紀に古い口承から編纂された詩のエッダと、同じく13世紀にスノッリ・ストゥルルソンが著した散文エッダという、二つの古典文献を土台にして読むと輪郭がはっきりします。
断片的なネット情報だけを追うと、炎の巨人という印象だけが先行しがちですが、原典を確かめると、どの作品のどの場面で何が語られているかが見えてきます。
そこで初めて、伝承と後世の脚色を分けて受け取れるようになるのです。
詩のエッダ『ヴォルスパー』の予言
詩のエッダでは、スルトは『巫女の予言(ヴォルスパー)』第51・53節、さらに『ヴァフスルーズニルの言葉』第17-18・50-51節に現れます。
節番号まで押さえることに意味があるのは、スルトが単独の怪物としてではなく、終末譚の流れの中で配置されているからです。
原語で該当箇所を確認すると、断片的な紹介では見えない語の密度があり、周辺の神々や戦いの文脈まで一緒に立ち上がってきます。
筆者も該当節を原語で追ったとき、ネット上の要約と実際の詩行の距離に驚きました。
短い断言の集積ではなく、予言としての緊張が少しずつ高まっていく構造になっているからです。
スルトはその最終局面に置かれ、炎の剣と終末での進軍、そしてフレイとの戦いを通じて、ラグナロクの決定的な破局を担う存在として浮かび上がります。
『ヴァフスルーズニルの言葉』の問答
『ヴァフスルーズニルの言葉』では、問答という形式そのものが重要です。
知を競うやり取りの中でスルトに触れるため、単なる怪力の象徴ではなく、神々の知る世界の果てを示す存在として登場します。
第17-18節と第50-51節という具体的な位置をたどると、語り手が何を知り、何を知りえないのかという境界がはっきりします。
原典主義の立場から見れば、この節番号の明示こそが読者の道標になるでしょう。
この作品のスルトは、終末に向かう世界の論理のなかで機能しています。
問答において引き出されるのは、英雄譚の逸話ではなく、世界がどのように終わるかという知識です。
だからこそ、フレイとの戦いに至る前景だけでなく、そこに至る認識の枠組みまで含めて読まなければなりません。
神話を正確に語るとは、出来事だけでなく、その出来事がどのような形式で伝えられたかを見ることでもあります。
散文エッダ『ギュルヴィたぶらかし』の解説
散文エッダ『ギュルヴィたぶらかし』は、スノッリ・ストゥルルソンが13世紀に著した作品で、スルト像を読むうえで欠かせません。
ここではスルトが世界の果てで土地を守って座し、燃える剣を振るい、終末に進み出て神々を打ち破り、世界を焼くと記されます。
初めて通読したとき、その文章は驚くほど簡潔なのに、情景の切れ味が鮮烈でした。
長々と飾らず、要点だけで終末の暴力を立ち上げるからです。
この記述が重要なのは、創作でふくらんだイメージと原典の差を自分で見分けられるからです。
剣の出自の詳細のような後世の解釈や推定は、原典が明示する事実とは別に扱う必要があります。
炎の剣、終末での進軍、フレイとの戦い、この三点を軸に据えて読むと、スルトは曖昧な悪役ではなく、13世紀の文献にきちんと位置づけられた終末の執行者として見えてくるでしょう。
現代に残るスルト|火山島とポップカルチャー
スルトは神話の中だけにとどまらず、現代の地名や映像作品にも姿を変えて生き続けています。
とりわけ、1963年11月14日にアイスランド沖で海面に現れた火山島がスルツェイ島と名づけられた事実は、炎の巨人の名が現実世界の地図に刻まれた象徴的な例でしょう。
破壊の神話が、観察と記録の対象になる自然史へつながっている点が、この話の面白さです。
炎から生まれた島スルツェイ
スルツェイ島は、1963年11月14日に海面に出現し、1967年まで噴火が続いて形を大きくしました。
炎と溶岩の勢いがそのまま島になったような誕生の仕方であり、スルトに因んで名づけられたのは自然な流れだったのでしょう。
神話に登場する火の巨人が、現実の火山活動を説明する言葉として選ばれたことに、北方世界らしい感覚がにじみます。
この島が特別なのは、名前の由来だけではありません。
噴火が収まった後、生物がほとんど無の状態からどのように定着していくかを観察できる貴重な研究対象となり、2008年にはユネスコ世界遺産に登録されました。
神話的な命名が、科学的価値を持つ場所に結びついたわけです。
アイスランド関連の資料でこの由来を知ったとき、筆者も神話と現実が一枚の地図の上で重なる感覚を覚えました。
映画・ゲームに描かれるスルト
ポップカルチャーの世界では、スルトはさらにわかりやすい姿で受け継がれます。
マーベル映画『マイティ・ソー バトルロイヤル』(2017)では、炎の悪魔スルトゥルとしてアスガルドを滅ぼす存在になり、視覚的にも「終末」を体現するキャラクターとして描かれました。
ゲーム『ゴッド・オブ・ウォー ラグナロク』でも重要人物として現れ、プレイヤーは神話の破局を物語として体験することになります。
原典を読むと、こうした創作が何を残し、何を変えたのかが見えてきます。
映画やゲームのスルトは、細部こそ脚色されていても、止められない破壊の存在という核をしっかり保っています。
神話の筋を知ったうえで映像化された姿を見ると、単なる再現ではなく、現代の感覚に合わせた翻訳として受け止めやすくなるのです。
破壊と再生の象徴としての受容
スルトの現代的な受容で見逃せないのは、破壊だけで終わらない余韻です。
原典のスルトは、世界の終わりを告げるだけの怪物ではなく、破壊と再生の境界に立つ宇宙論的存在として響きます。
だからこそ、火山島スルツェイ島の命名にも、終末を描く映画にも、単なる暴力以上の重みが宿るのでしょう。
創作作品を見た後に原典へ戻り、どこが維持され、どこが作り替えられたかを比べると、神話の骨格がいっそうはっきりします。
おすすめです。
スルトは、現代では火山島の名にも英雄譚の敵役にも姿を変えましたが、その底にはなお、世界を焼き尽くしながら次の秩序を開く存在という像が残っています。
そこを押さえておくと、受容の広がり自体が神話の生命力を物語っていると感じられるはずです。
西洋古典学を専攻し、ギリシャ・北欧・ケルト神話の原典講読を続ける神話研究家。比較神話学の視点で神話間の共通構造を分析する記事を得意とします。
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