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エジプト神話

国内のエジプト展で、幼いホルスに乳を含ませるイシス像をガラス越しに見たとき、まず印象に残ったのは「母なる女神」という大きな言葉より、護符として人の手に収まってきた小像の親密さでした。

神々図鑑

ガラスケース越しに見たアヌビス仮面の黒は、遠目の「真っ黒」ではなく、樹脂のような艶を含んだ深い光でした。ミイラ制作の展示で、アヌビス仮面を着けた神官が葬祭を執り行う場面の出土品を前にすると、この黒が腐敗だけでなく再生や沃土をも指すという古代エジプトの感覚が、急に手触りのあるものとして迫ってきます。

エジプト神話

隼、あるいは隼頭の姿で描かれるホルスは、古代エジプトで天空を司る神であると同時に、ファラオの王権を守り、その正統性を示す象徴でもありました。筆者がカイロ・エジプト考古学博物館や日本の特別展で、青い釉薬のウジャト護符や、隼を戴いたセレクの刻印をガラス越しに見たとき、ホルスは神話の登場神というより、

エジプト神話

博物館で太陽船の場面を見ていたとき、太陽船上でセトがアポピスに対抗する図像に出会い、「オシリスを殺した悪役」という印象だけではこの神を読み切れないと実感しました(筆者による来訪時の観察による記述)。

エジプト神話

British Museum 所蔵の Papyrus of Ani(アニのパピルス)のコレクションページや公開画像を参照すると、心臓の計量図におけるマアトの羽根、秤に手を添えるアヌビス、記録役のトトの位置関係が詳細に確認できます。写本の図像差を比較する際に有用です。

日本神話

日本神話を最短でつかむなら、主要出典である古事記日本書紀風土記の位置づけを押さえつつ、まずは古事記を軸に読むのがいちばん流れが見えます。筆者自身、毎年伊勢神宮と出雲大社を歩いて神話の地理感覚を確かめ、国立公文書館の展示で古事記成立の解説にも目を通してきましたが、

日本神話

天照大御神は、単なる「太陽の女神」としてだけでは捉えきれません。高天原を照らす太陽神であると同時に、皇統の起源を支える皇祖神であり、いまも神宮の祭祀に息づく祭祀神でもあります。

日本神話

出雲の神話ゆかりの地を歩き、古代出雲歴史博物館の展示を見比べていると、ヤマタノオロチの八つの頭と尾、八つの酒桶、八つの門と垣に重なる“八”のモチーフが、須佐之男命という神の輪郭を立体的に浮かび上がらせます。

日本神話

奥出雲で斐伊川上流、船通山の周辺を歩くと、谷が折れ、流れが幾筋にも見えてくる地形そのものが、八つの頭と尾をもつ大蛇の像に重なって見えてきます。石見神楽の大蛇で火花を散らしながら暴れるオロチの迫力に胸をつかまれたこともありますが、

比較神話学

古事記(712)と日本書紀(720)は、同じ神話世界を語りながら、3巻と30巻、物語的な流れと編年体、国内志向と対外志向という別々の設計で編まれています。筆者は原典講読ノートで、まず比較表で全体像を押さえ、次に国生み・天孫降臨・国譲りの差異を異伝メモで拾い、そのうえで編纂背景を読むのですが、

日本神話

博物館で直径約46.5cm級の大型内行花文鏡を前にしたとき、筆者はまずその“神鏡らしい圧”に息をのみました。八咫鏡・草薙剣・八尺瓊勾玉という三種の神器は、神話の宝物であると同時に皇位を象徴するレガリアでもあり、古事記(712)と日本書紀(720)では表記も扱いもそろわず、

日本神話

天津神は高天原にいる、あるいはそこから天降った神々、国津神は葦原中国に現れ、地上で働く神々です。伊勢・出雲・諏訪を巡って社頭の祭神表記や祈りの言葉を追うと、「天」「国」や「天神地祇」という古い分類語が、いまも静かに息づいているのを感じます。